がんコントロール協会について

アメリカがんコントロール協会

アメリカがんコントロール協会は非営利、慈善事業団体として、代替・補完療法の数々の情報を提供してまいりました。

1973年以降、毎年ロサンゼルスでがんコンベンションを開催(2004年9月第32回開催)。
世界中からプロを招き、がんやその他、変性病の最新療法の発表を行なっております。

コンベンションの中心はドクターセッションで、多くの専門化が互いに最新情報を交換し、学びあう場となっています。参加者は、アメリカ全土の他に海外からも多数です。

1984年からはメキシコのクリニックを巡るツアーを開始し、見学者である患者と家族が代替療法の現場に直接触れることが出来るようになりました。
医療関係者のための学問的な設定もされており、患者が初期の治療コースを完了した後のコンベンショナル医療との統合の仕方も学ぶことが出来ます。

現在では、「末期」の診断を受け精神的に打撃を受けているがん患者に病気の進行に応じてより良いアプローチをする為のアドバイスを乗せたガイドブックを送っています。
他に本部では教育のための、また有効補助薬の紹介など書籍や、ビデオの提供も行なっています。

沿革

1959年
カリフォルニア州サンディエゴの女性セシル・ホフマンが乳がんによる乳房摘出手術を受ける。
3年後、転移と余命僅かなことを医師より告知される。
「レトリール・ガンのコントロール」という本と運命的な出会いをしたホフマン夫妻は、当時トリール治療で有名だったカナダ・モントリオールにある施設で、治療を受ける。アメリカではレトリール治療が禁止されていたためメキシコ・ティファナに渡り、著名な病理学者で腫瘍医のDr.エルネスト・コントレラスのもとでレトリール治療を継続。数年後回復に至る。
1963年7月
自らの成功とがんで苦しむ他の人々を助けたいという意志から、セシル・ホフマンは「インターナショナルアソシエーション オブ キャンサー ピクティムズ アンド フレンズ」(がん患者と援助者の国際協会)を設立。
そのニュースは全国に広まりたくさんの支部が設立されるが、特にロサンゼルス支部は最大規模で最も活動的であった。
1973年
ロスアンジェルス支部の中心人物であったロレイン・ロザンタール、ベティ・モレス、ノーマン・フリッツらによって「キャンサー・コントロール・ソサイアティ」 【アメリカがんコントロール協会】が設立される。
1994年
「アメリカがんコントロール協会」日本支部設立。
以来、日本で開催されるコンベンションには本部副会長フランク・コージノーが参加し日本支部をサポートしています。