がんコントロール協会について

がんコントロール協会の歩み

1994年
アメリカがんコントロール協会主催のがんコンベンションに参加をしていた森山晃嗣が中心となり、また、アメリカがんコントロール協会の本部副会長のフランク・コウジノウの協力のもと、アメリカがんコントロール協会日本支部が設立される。
1995年
日本での本格的ながんの代替療法のコンベンションとして、帯津良一医学博士(現日本ホリスティック医学協会会長)をはじめ国内外の代替・統合医療に取り組む先生方を招き、大手町サンケイホールで第1回日本がんコンベンションを開催。以来毎年1回がんコンベンションを開催している。
2003年5月
アメリカがんコントロール協会日本支部はNPO法人 がんコントロール協会 として認証を受け今後さらに活動の幅を拡げ、健康でいきいきした人が満ちあふれる活力ある社会づくりに寄与することを目的として活動している。
2004年
日本がんコンベンション(代替・統合療法コンベンション)10年目の記念として、第10回代替・統合療法コンベンションを、7月4日(日) 福岡、9月18日 (土)、19日 (日) 東京 で開催。
2010年
日本がんコンベンション(代替・統合療法コンベンション)16回目の開催となる。
2012年
第18回 日本がんコンベンションを東京秋葉原コンベンションホールにて開催

 

Cancer Control Society ( アメリカがんコントロール協会 ) の歩み

1959年
カリフォルニア州サンディエゴの女性セシル・ホフマンが乳がんによる乳房 摘出手術を受ける。
3年後、転移と余命僅かなことを医師より告知される。
1963年
「レトリール・がんのコントロール」という本と運命的な出会いをしたホフマン夫妻は当時レトリール治療で有名だったカナダ・モントリオールにある施設で治療を受け、アメリカではレトリール治療が禁止されていたためメキシコ・ティファナに渡り、著名な病理学者で腫瘍医のDr.エルトネス・コントレラスのもとレトリール治療を継続、回復に至る。
1963年7月
自らの成功とがんで苦しむ他の人々を助けたいという意欲から、セシル・ホフマンは 「インターナショナル・アソシエイション・キャンサー・ビクティムズ・アンドキャンサー・フレンズ」(がん患者と援助者の国際協会を設立その活動は全米に拡がり多くの支部が設立されるが、とくにロスアンジェルス支部は最大規模で最も活動的であった。
1973年
ロスアンジェルス支部の中心人物であったロレイン・ロザンタール、ベティ・モレス、ノーマン・フリッツらによって「キャンサー・コントロール・ソサイアティ」 【アメリカがんコントロール協会】が設立される。ロスアンジェルスにてがんコンベンションが始まった。
1990年
現NPO法人がんコントロール協会代表森山晃嗣が、この年からアメリカがんコントロール協会主催のがんコンベンションに参加することとなる。